ゆとり流「地球の歩き方」

昨今の日本社会でゆとり世代であるというのは足枷にしかならないものです。結局はゆとりだから、というレッテルを貼られがちなゆとりが世界を旅してまわるブログです。

熱狂のワールドカップ

ワールドカップの初戦はロシア対サウジアラビアだった。夕方6時には血の救世主教会前に設置されたファンフェスに着いていたかったので、朝早くに先日会ったばかりのアメッドと一緒に宿を出てサンクトペテルブルクの中心を走る大通りに沿って歩き出した。ファンフェスとは、FIFAが試合会場に行けない人用にロシア国内の主要都市に一つずつ設置した大画面のある屋外スペースのことで、試合時間になると人々が飲み物を片手に試合を観れる場所であった。試合会場には劣るが、家やバーで見るよりもはるかに盛り上がるので、チケットを持っていなくてもそこでワールドカップは存分に楽しめるのだった。

 

行く当てもなくサンクトペテルブルクの街をぶらり歩きながら、教会や公園を回る道中でモロッコのユニフォームを着た男連れ二人にアメッドが話かけた。彼はモロッコ人である。聞くとイギリスから来た二人組で、男の一人の父親がモロッコ人であり、大学に区切りがついたのでワールドカップに足を運んだとのことだった。歳は四人とも同じで、異国の地でサッカーを見に来たこともあい重なり、一つの共通意識のようなものが芽生えた。結局その後サンクトペテルブルク滞在中はこの二人と幾度となく飯を一緒することになる。

 

サンクトペテルブルクの川沿いにヘルミタージュと呼ばれる、ルーブル、メトロポリタンに続く世界三大美術館の一つがある。4人とも美術作品にはこれといって興味はなかったが、折角なので寄ることにした。外側からは分からない広い美術館で、内装が豪華な建物だった。5分の1も見ていないところで、そろそろ出るかという流れになり美術館を後にした。

 

ファンフェスは自国の試合を観に来たロシア人達と、何故か彼らよりも盛り上がっているイラン人を筆頭としたサッカーファンで溢れかえっていた。ファンフェスがこれほどまで雑踏としていたのは後にも先にもこの時限りであった。ファンフェス会場に入る際のセキュリティチェックを待つ列ではイラン人らと南米かららしい人々がブブゼラや太鼓を片手に興奮しながら歌い踊っていた。

 

試合はロシアが5点を決め勝利した。帰る傍ら涙を浮かべている体格のいいロシア人に抱きつかれた。試合が終わってもその興奮の熱は収まらないようで、日が暮れることのない街を、国旗をマントのように肩にかけ大声で歌いながら歩いているロシア人達をよく見かけた。それから毎日三試合ほど行われ、サンクトペテルブルクにあるスタジアムで試合が行われたときには勝利した国が街の所々でお祭り騒ぎをしているのをよく目にした。負けた国の人間も結局一緒になって写真を撮ったりしている。

 

サッカーという競技はそれほどまでに人間を動かすのだ。勝負は無論存在するのだが、それは試合結果というカタチでありそれが他者との人間関係を悪化するなんてことは勿論ない。試合前でも試合後でも、勝った国の人間も負けた国の人間も、お互いの肩をたたきあい冗談を言い笑いながら時間を共にする。ワールドカップはそんな場所であった。