ゆとり流「地球の歩き方」

昨今の日本社会でゆとり世代であるというのは足枷にしかならないものです。結局はゆとりだから、というレッテルを貼られがちなゆとりが世界を旅してまわるブログです。

サンクトペテルブルクという街

サンクトペテルブルクに着いたのは、11時を丁度回った頃だった。普段なら11時と言えば空が完全に暗くなり街灯の光が道を照らす時間なのだが、北欧の夏には白夜というものが存在し、それがその街の空を青紫色に染め上げていた。白夜の時期は真夜中にしても薄暗いままで、およそ朝の3時頃から空が明るみだすのである。よってサンクトペテルブルクの街は、それが何時であろうと、活気が衰えなかった。

 

9時間もの間電車で何をするでもなく揺られていたので、到着時の解放感と街の雰囲気が醸し出す活気に高揚しながら宿に向かって歩いた。宿は駅から10分ぐらいのところにあり、サンクトペテルブルクの中心を走る道路に面していた。チェックインをし、部屋へ通されると、それは想像とはやや違っていた。長方形の部屋は建物の中庭に面した大窓が二つあり、それを覆うような形で2段ベッドが5台、所狭しと壁際を埋めていた。いくつかのベッドの上下には、他人の物と思えるスーツケースやバックパックが乱雑に置かれていた。10人部屋を予約したつもりはなかったのになと思いながらも、指定されたベッドの下段にバックパックを置いた。11時を過ぎていたのに、同室にいるのは自分を除いて一人だけだった。こちらに気を止めた様子もなく携帯を眺めていたので、自分から世間話を振ることにした。彼はモロッコから来たサッカーファンだと言った。数分間の会話の後、この後外出するけど一緒に来るかと誘いを受けた。半日以上も狭い座席がベッドにもなるような所で過ごしていた身としては、ありがたい申し出だったので快く応じた。

 

宿の下にあるアメリカンなバーガー屋で彼の友達(後に宿の同室の人間だと判明した)と合流し、夜のサンクトペテルブルクに繰り出した。空は先ほどと変わらず薄暗いままで、建物には装飾用の明かりが灯り、それが街全体をさらに明るくしていた。建物の高さが均等で、それによって空がやや広く感じる。色とりどりの建物と、その電飾が北ロシアの街を独特な雰囲気で飾っていた。街の所々には教会のような建物が立ち、その規模と細やかな外装が資本主義の国ならば存在しえなかったであろう整然とした街の印象をより一層際立たせていた。

 

ロシアの中でもより一層ヨーロッパの雰囲気に近いことで有名なこの街はその噂の通り、若く活気に満ち溢れていた。モスクワとはまた違った印象で、よりモダンで新鮮な街であった。街の立地も北欧諸国に近いことから様々な文化がここで融合していくのだろう。その何かは分からない魅力が旅人の心をくすぐるのだ。バックパッカーにもたくさん出会う反面、ロシア人も友好的で開放的な印象を受けた街であった。

 

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小川から血の救世主教会を臨む